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皇都午睡
三編上
江戸は日本国の人の寄場にて、言葉も関八州の田舎在郷の訛りおよせて、自然となりし物ゆえ、江戸詞と雲ては甚少なし、其内古風お守り町嚀の詞も有り、大体京摂の詞お詰て短かく雲ならはせし也、〈〇中略〉 江戸にて浜側お川岸と雲ふ、川岸の略語勿論なり、大坂にて川岸(かんぎ)とも雲ふ、是略語にて少し異りたる也、京に町(まち)と呼ぶ所多くて、丁(てう)と唱ゆる所すくなし、江戸は丁といふ方多くて町と呼ぶは少なし、大坂は町(まち)と丁(てう)と相半なるべし、江戸にて町並よき所にていはヾ、駿河丁、白銀丁、大伝馬丁、石丁、小田原丁、瀬戸物丁、本船丁、伊勢丁、堺丁、葺屋丁、尾張丁、木挽丁などとて丁と呼ぶ方多し、室町、田町、田原まち、麹町など、町と呼ぶ所少からねど、町と雲より丁と雲方開語に走るゆえ、多しとしるべし、京にて麩屋丁、お旅丁、宮川丁、先斗丁と拠所なきお丁と呼び、跡は町(まち)と呼方多きとしるべし、大坂は半分宛取合せたれば改いはず、扠江戸で日本橋(にほんばし)と走り、大坂にて日本橋(につぽんばし)と叮嚀にいふ、江戸は短く詰て雲お是とする所なれば、日本橋通と雲お、また略して通(とおり)と計りにて通用させ、通二丁目三丁目と呼来れり、諸事け様に詰ていふ土地なるゆえ、京摂者(かみがたもの)の愚痴なる詞に、根から葉からどふもこふも腹が立て〳〵忌々敷て、怪体屎(けたいくそ)が悪ふて腸が熱くり返つてなることぢやないなどと、長たらしく詞おつヾけていへば直に口真似おして笑はるヽこと也、〈〇下略〉