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安房概志

国号基原 古語拾遺に載る如く、四国粟(あは)の国より来れる斎部氏居住の地なるお以て、安房郡と名く、古書には阿波、〈旧事紀〉或は淡、〈日本書紀〉または阿八〈和名抄〉などみえたり、何れも粟の辞に就き、文字の音訓お仮借したるまでのことにして別義なし、斯て養老二年に至て、此国お置き、之お安房と称するもの、既に阿波斎部氏、天富命に随従して、この地に来り、土民のために、麻穀お播植し、土民これにより、衣食余りあつて、其処お得たりしかば、阿波斎部の功労徳沢莫大なるお、万世遺忘すべからざる為に、安房の郡名お取て、直に国号とは定め玉ふなり、一説に、安房は淡なり、味の淡薄なるお雲、即ち淡水の義にして、海水の鹹に、渓澗の流水相混和し、之お嘗るに、其味極て淡薄なるなり、今の安房平群二郡の海浜、山澗の流水幾条となく落て海に入る、依て此辺海水の味、之お嘗るに自然淡薄なれば、淡国とは名けたりと雲、又一説に、上古当国平群より、上総天羽(あまう)に接する海浜、陸地お距こと数里にして、海面に屏風お展たる如き山巌、聳峙環抱せり、天皇其中間に於て、舟行ありしに、風涛聊沸起せず、平坦宛も湖水の如くなれば、淡水門お渡と雲しなるべし、今に海潮退くときは、遥に礁石の水面に迸お見と、〈房総志料此説おとる〉これ淡お以て平淡の義とするなり、或は古昔阿波淡等の文字お用しかども、元来総(ふさ)の国より割たる国なれば、其訓お存して安房(やすふさ)の字に改められしなど雲、諸説各一理ありといへども、古語拾遺に拠て郡名お取り、直に国号となすの説お以て是に近とすべし、