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下総国は初めしもそふさのくにと雲ひ、後にしもふさのくにと雲ふ、東海道に在り、西は武蔵、上野、南は上総、北は常陸、下野に界し、東は海に面せり、東西凡そ二十二里、南北凡そ十七里、其地勢は、西方武蔵平原に連り、田野慌々、国中殆んど山峯お見ず、此国は古へ国府お葛飾郡に置き、葛飾(かつしか)、千葉(ちば)、印幡(いむば)、匝瑳(さうさ)、海上(うなかみ)、香取(かとり)、埴生(はにふ)、相馬(さうま)、猿島(さしま)、結城(ゆうき)、豊田(とよだ)の十一郡お管し、延喜の制、大国に列す、後世豊田郡の一部お分ちて岡田郡お立て、葛飾郡の西部お割きて、之お武蔵国に属せしむ、明治維新の後、葛飾郡お東中北の三郡に分ち、尋で又東、西、中、北の四郡と為し、相馬郡お南北の二郡に分ち、埴生郡お改めて下埴生郡と称せしが、更に又下埴生郡お印幡郡に、南相馬郡お東葛飾郡に、西葛飾郡お猿島郡に、岡田、豊田の二郡お結城郡に合併し、而して北葛飾、中葛飾の二郡お武蔵国に属せしめ、凡て九郡と為し、匝瑳、海上、香取、印幡、千葉、東葛飾の六郡お千葉県に隷し、猿島、結城、北相馬の三郡お茨木県に属せしむ、