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下総国旧事考
八郡郷
海上郡〈和名抄訓宇奈加美〉 本郡の名義は、遠江国河上郷、安房国平群郡川上郷、越前国足羽郡江上郷、播磨国揖保郡浦上郷などの類にて、海に取れる義なるべし、当時本州第一の大郡にて、始て国造お置れ、其源に遡れば、はやく天穂日命子建比良鳥命よりつヾきて、此区域お知られしなるべし、〈〇中略〉 本郡は、和名抄の時より、十五郷の大郡にて、地勢大洋に臨み、東常陸と界る内海あり、南椿海の未だ田地とならざりし已前なれば、匝瑳郡と入海お隔て界せり、天正の撿田に至り、僅に抄の六郷の地お存して、其九郷の地は、香取郡に隷せし故に、今は万石余の小郡となれり、されど永禄の頃までも、大倉以東本郡なりしことは、海上八幡宮永禄年中の祭事記に見えたり、