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下総国旧事考
九郡郷
埴生郡〈和名抄訓波牟不〉 名義、埴生は、はにのおふる処お雲、和名抄訓波牟不なれど、地方の方言にて、はぶと省言に呼び来れり、〈或雲、牟一本二爾に作れりと、いかヾ、駿河の国阿陪の郡埴生の郷、訓反布とあり、その地方の称呼も本郡と同じさまなり、〉抄に四郷お載すれど、竜角寺所蔵天正八年、千葉邦胤文書には、埴生十五郷料所、并私領雲々とあり、〈此の料所とは千葉家の領分お雲にや、私領とは其一族の領所なるべし、〉郷とは十五箇村のことにや、又吉岡大慈恩寺文書に、伊能郷、奈土郷、津富良郷、小松郷等あり、皆村と並べ挙げたり、郷村の弁別なし、 按に、佐倉風土記に、本郡中古廃して、香取の郡埴生の庄と唱ふ、貞享三年以来復た郡となれりと雲、郡名の起れるは、上福田村にや、〈上福田下福田とも、旧は一村にて、埴生郷とも雲しならん、〉此村に土地明神と雲社あり、社伝に埴安姫命お祭ると雲、さて上総下総共に埴生、海上の二郡あり、 四至、今のさまは、東南は香取郡、上総国武射郡お限り、西南は印幡郡、北は利根川、常陸国河内郡なり、