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新編常陸国誌
二十九都邑
補、都邑、 府中〈布知宇〉 府中は今新治郡にあり、〈近時石岡と攺む〉元禄郷帳、新治郡平村、市川村の内なり、其地国の中央に在りて、四通八達の境なる故に、古は茨城郡に属して、一国政令の出づる所たり、倭名抄に、国府在茨城郡と雲ふ者即是なり、中世以降、桓武平氏世々本国の大掾となりて此に住す、東鑑、建保二年条、常陸国府中とみえ、税所氏延元中文書に、府中石岡城とあり、後天正十八年に至りて、大掾氏遂に佐竹氏の為に滅せらる、佐竹氏の後、六郷、皆川諸城主お経て、永く水戸支族松平氏の領所となる、初王政の盛なるや、京官来り、国人聚り、官衙屹立、市廛櫛比、宛然一国の大都たりしが、天慶以後、屡争乱お経て、兵火に罹り、市四廃し、士庶散じ、昔日の繁盛復観る可からず、其隆替変遷の跡、古史能く徴するものなし、