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新編常陸国誌
九郡名
那珂郡 倭名抄雲、那珂〈風土記那賀に作る〉古の那賀国なり、〈◯中略〉風土記、倭名抄お考ふるに、是郡東大海、南香島、茨城郡、西新治郡下野国堺、北久慈郡にて、入野、朝妻、吉田、岡田、安賀、大井、河内、川辺、常石、全隈、日下、志万、阿波、芳賀、石上、鹿島、茨城、洗井、那珂、八部、武田、幡田等の二十二郷お管す、中世本郡の地分れて三郡となり、其東辺お吉田郡と称し、其西北辺那珂川お狭で那珂西郡那珂東郡の名あり、文禄の撿地、那珂川以南の地即那珂西郡及吉田郡南辺悉く茨城郡に併せられ、更に久慈郡の北辺お加へて、新に郡界お定む、元禄の制之に仍て改めず、東は東海に至り、西は下野那須郡界に達し、南は那珂川お限り、北は久慈川お以て久慈郡に界し、一百四十三村、十万二千九百六十余石お統括せり、