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道の幸

廿日、〈◯寛政四年十一月〉ひるのしたヽめして法隆寺へ行、〈◯中略〉太子御茵とて、あまたある中に、縫めもきれて、中倍の細緯筵出たるが、裏は幅ひろき布にて、端に常陸国信太郡中家郷(○○○)戸主大伴羊天平宝勝八年と墨もて書て有、宝勝は勝宝の書たがへるにや、八年の下は十月とおぼしくて其下は消てみえず、