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新編常陸国誌
二十五都邑
水戸(○○)〈美登〉 水戸の地は、古へ那珂郡に属して、常石、吉田二郷に跨れり、中世吉田郡の起るや、其内に入り、郡廃するに及びて、永く茨城郡の所管となる、初大掾氏の此地に拠るや、士人お延て邸宅お与へ、商売お招きて市廛お開く、水戸の市街、蓋こヽに始る、大掾、子亡びて、江戸氏之に代り、江戸氏衰へて佐竹氏之お領し、大に旧模お改め城市お広む、是より水戸の名漸く世に著はれ、水戸侯の称天下に聞ゆ、水戸侯出羽に徙るに及びて、永く徳川氏の治所となり、益境域お加へて、称呼お更め、区画お正して士庶お別ち、国中第一の都邑となる、凡街衢お大別して二となし、一お上町と雲ひ、一お下町と雲ふ、其地、南は千波湖に臨み、北は那珂川お帯び、東は浜田、細谷の二村に連り、西は常葉村の地に錯して、中央に水戸大城あり、以て上町下町の分界お為せり、〈天和三年の町方伝馬定法書に、杉山やらい御門、御三階下やらい御門より西は上町、東は下町とあり、〉