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常陸紀行
久慈郡北部お【依上】(よりかみ)保内の郷といひて、昔時は二十四け村なりしが、今は四十二け村となれり、確村に寄上(よりかみ)明神あり、今寄上の古名此に存せるのみなり、佐竹興義の二男依上三郎宗義なるもの見えたり、蓋し此地昔時依上氏の食邑せしにや、土俗いふ、大子と大津と同村にして、今は両村となる、又上沢と高岡と同村なりしと雲へり、下谷田中有田冥賀も同村なるよし、谷田は谷端ともいひしとぞ、下野宮近津社保内郷の総鎮守にして、二十四け村へ年両度神輿出御し、大祭礼あり、往古の旧例ありて二十四け村に出御し来れり、今お以てむかしお知るに足れり、