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東海道名所図会

山近両国堺〈いにしへは逢坂山の峠の少し南也、今に両国寺といふ浄刹あり、当時は追分お山城近江の堺とす、此辺の名物には、大津絵または算盤、針、饅頭等也、絵は土佐又平こゝに住て書初しとぞ、算盤は一里塚前お善とす、針は此所の名池の側世に名高し、原此針細工人の家、京東六条に大きなる池ありて、其側なれば池の側針といふ、東本願寺建立の時、公命によつて針師残らず逢坂山の麓に替地お賜ふ、旧名お呼んで今も池の側といふ、〉