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近江国輿地志略
四道路
官路 東海道、中山道是なり、二道は京師より江戸におもむくの路なり、其路倶に近江の国お歴るなり、沿革あつて古の如くにはあらずといへども、其名はかはらず、其駅も皆々かはりて、昔し駅なりし処も郊野となり、田畑なりし地もいま駅となるところ多し、源順が和名抄に、駅家南北にありとしるせし篠原も、いまは駅にあらず、東鑑盛衰記等おかんがうれば、鏡の宿、野路の宿などあれば、治承寿永のころは、是も駅なりと見えたり、古へのことは皆かくのごとくかはれるたぐひたり、駅のみに、今駅は東海道にては、大津、草津、石部、水口、土山なり、中仙道にては、守山、武佐、愛智川、高宮、鳥本、番場、醒井、柏原なり、按ずるに日本紀略に、延暦十四年七月辛の卯、遣左兵衛佐橘入居撿近江若狭両国之駅路とあり、〈◯中略〉 東海道 十四里三十四町五十五間なり、山城近江両国の界、追分長町より、近江伊勢両国の界、鈴鹿越に至つてのつもりなり、山城の国界、追分長町より六町四十五間東に一里塚あり、是より一里ごとに此塚あり、当国東海道の終の一里塚より、伊勢の国界、鈴鹿(すゞか)越まで二十八町十間あるなり、 中山道 十九里二十八町三十五間なり、山城近江両国のさかい追分長町より、近江美濃両国のさかい、寝物語にいたつてのつもりなり、近江の国一里塚ある所より、国堺寝物語まで二十二町五十五間あるなり、 越前路 十二里三町二十四間なり、越前近江両国のさかい国堺嶺より、近江美濃両国のさかい夫婦岩までの積なり、近江一里塚あるところより、越前国界に至つては十三町二十四間あり、近江美濃両国の界、夫婦岩の辺一里塚なし、 若狭路 八里拾九町なり、柳瀬村より、近江美濃の国界、夫婦岩に至つて積なり、 山城国路 十八あり、十八の内には、官路、小径、間道ありといへども、次第おわかたずしるす、十八といへるは、逢坂越、追分越、小関(こせき)越、如意越、山中越、水呑越、青山越、水谷越、八瀬越、仰木越、伊香達越、途中越、久田越、醍醐越、烟越、曾東越、宇治田原越、裏白嶺越、〓乃越、以上十八なり、土俗坂路お経て捷径に行お、何越某の越といふ、〈◯中略〉 伊賀路 四道あり、於土岐越、丸柱越、内保越、油日越なり、〈◯中略〉 伊勢路 九道あり、九道は鈴鹿越、安楽越、小岐須越、大河原越、仁正寺越、千種越、八風越、君畑越、大君畑越なり、〈◯中略〉 美濃路 七道あり、長競越、藤川越、大久保越、加須川嶺越、久加越、中尾嶺越、島津越なり、〈◯中略〉 越前路 六道あり、虎杖越、庄野嶺越、倉坂越、沓掛越、大浦越、七里半越なり、〈◯中略〉 若狭路 四道あり、栗柄越、深清水越、大杉越、針畑越なり、