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冠辞考
四佐
さヾなみの 〈志賀 大津の宮 故きみやこ 国津御神 大山もり 平山〉 万葉巻一に〈人万呂〉左散難弥乃(さヽなみの)、志我能太和太(しがのおほわた)、また楽浪之(さヽなみの)、思賀乃辛崎(しかのからさき)、巻二に〈東人〉神楽波之志賀(さヽなみのしが)、左射礼浪(さざれなみ)、敷布(しくしく)爾、巻七に、神楽(さヽ)声浪乃(なみの)、四賀津之浦能(しがつのうらの)雲々、又集中に、楽浪乃(さヽなみの)とて、大津宮(おほつのみや)、故京(ふるきみやこ)、国都美神大山守(くにつみかみおほやまもり)、平山風(ひらやまかぜ)などもつヾけたり、こは近江の志賀郡にある篠なみてふ地にて、そこの大名なる故に、其辺りの所には冠らせたる也、地の名なる事は、神功紀に、及于狭々浪栗林雲々、欽明紀に、〈高麗使到于近江〉発自難波津、控引船於狭々波山而雲々、天武紀に、会於篠〈此雲佐々〉浪而探捕左右大臣雲々と有にてしれり、さて其篠は小竹也、浪は借字にて靡(なみ)の意也、故になびく物にはつけていへり、古事記に、〈応神条〉志那陀由布(しなたゆふ)、佐々那美遅(さヽなみぢ)とよみしも、此篠靡道にて、しなへたゆふてふ語お冠らしめたるにてもおもへ、故に右の狭々は清て唱ふる也、然るお近江の湖によりて、さヾ波てふ語お冠らしむと思へるは、委しからず、その浪のさヾ波おば、巻二に、左射礼浪(さヾれなみ)、巻十三に、沙邪礼浪(さヾれなみ)など、下のさに濁る字お書てしらせたり、かの神楽波之(さヽなみの)、志賀佐射礼浪(しがさヾれなみ)とよめるにても、上の神楽浪は、同じ事ならぬお知べき也、