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近江国輿地志略
三十九栗太郡
夫以、栗太郡は、日本紀、続日本紀及延喜式、倶に栗太に作り、俗に或は雲、栗本の字なれども、古より本の字の亅お誤来て、太の字になすといへり、然れども此言は不稽なり、正史実録悉誤とすべけんや、栗本の文(もん)字おもちふべし、三国伝記に曰、近江の栗の樹は、天竺栴檀の種なり、故に栗の文字西と木と合す、 栗の樹枝葉天お覆、農民これお呼て魔木といふ、斧斤截れどもきれず、一夜杣人霊夢おこふむり、木お截やくこと数日、終倒つくるにいたる、その灰お塚につく、今の栗本の灰塚是なり、栗の樹の枝、湖辺に流とヾまるところ、今の木浜なり、その郡おもつて栗本と名づくといへり、世俗のつたふる処も又此のごとく、〈◯中略〉たヾそのいにしへ栗の樹のおほくありしゆへ、郡に名づくなるべし、日本紀に、近江国粟田郡としるせるところあり、もとより栗田郡といふ郡なし、おもふに上古は栗田ととなへしにや、粟は栗の字の転写の誤なるべし、栗田といひしゆへに、栗太の文字お書し、亦一転して栗本といふなるべし、太にふとしといふ訓あり、ふとヽもとヽ訓近ければ、また一転したるなるべし、〈◯中略〉凡此郡西は志賀郡なり、南は山城の国白雲山に至り、坤は山城の国界横岩山おかぎり、北は野洲郡の界三宅金が森にまじはり、乾はみづうみおかぎりとす、艮は野洲郡の界南桜山、甲賀郡石部山に接し、ひがしは甲賀郡の山岳にとなり、たつみは野尻山、田代山につらなるなり、当郡のうちに霊仙寺村あり、この村いにしへは栗太村とよびしといへり、栗太村あるによつて、郡に名づけしもしるべからず、