[p.1175]
近江国輿地志略
四十九甲賀郡
夫以甲賀郡の名久し、日本紀の天武紀に、鹿深に作る、続日本紀には甲賀に作れり、日本姫世紀、鎮座伝記、及鎮座本縁皆以甲可に作る、油日神社縁記曰、聖徳太子誅守屋、勝照四年戊申卯月日、当国有行幸、因勝軍之因縁、先郡号甲賀雲々、 臣 按ずるに、油日社の縁記は偽説のみにて論ずるにたらず、勝照といへる年号日本になし、何れの年号にや、太子お行幸としるす、笑べし、甲賀の名、何ぞ此時に始べきや、膚偽もつとも甚し、〈◯中略〉凡此郡の地勢、略扇子の形に似れり、南広して北狭し、南は伊賀国界信楽、焼尾、油日山に接し、坤は山城国裏白巓乃土の山に隣、西は栗太郡の界に連なる、乾は野洲郡の界桜山に交り、北は蒲生郡の界に並、艮も亦蒲生郡に接す、東と巽とは伊勢に続く、東は伊勢国界於岐須山薦野に至り、巽は同国界鈴鹿山に隣、