[p.1178][p.1179]
近江国輿地志略
七十二愛智郡
夫以れば、愛智の郡名既に旧し、三正史、六国史、あるひは依智、恵智の文字につくる、いま専ら愛智の字お用ゆ、愛にえの訓あり、因て然り、尾張にもおなじ郡名あり、是はあいちと訓ず、当郡西南と巽の隅は神崎郡の堺に交り、乾の隅は湖水なり、北と艮隅とは、犬上郡のさかいに接り、東は伊勢の国堺初田山に続けり、此の郡は巽と乾とはながふして、艮と坤とは短し、いぬいは野良、田中、下林村の辺にしては地形はなはだ狭し、清水西出のあいだにいたつては、漸くひろし、鯰江斧麿のあいだに及んでは、甚だおヽいにひろし、蛭谷木畑(ひるだにきばた)のあいだのごときはもつて狭きなり、