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近江国輿地志略
八十四浅井郡
夫以ば、浅井郡は、近江風土記曰、浅井郡、或阿座胆(あさい)、西限知奈浦、東限朝日湊、南限岡本磯、北限小寝杜雲々、茨田親王姓氏録曰、治田連、開化天皇皇子彦坐命之後、四世孫彦命、征夷有功効、因割近江国浅井郡地賜雲々、当郡南は坂田郡及湖水なり、北は伊香郡及越前の国界沓掛坂なり、西は高島郡の界に連て、乾は越前の国界山中山にならべり、東は伊香郡及美濃の国界なり、此郡お以て上下にわかち、南北おもつてよぶことあり、しかれども元来一郡にして、往古風土記にも二郡にわかたず、一郡なり、伊香郡その間にあつて、陸地おもつて見ときは、地脈切たるに似たれども、湖水の中浅井郡にして地脈切ず、浅井郡は首尾おもつて伊香郡おつヽめるごとし、委しく図お按ずるに解おまたずしてあきらかなり、近江の風土記、今人間になし、わづかに浅井の一郡脱簡紙上一葉ばかり、水戸の館庫にあり、漸浅井一郡の境界、及竹生島のことすこしくしるせり、其余の神社仏宇山川行路等のことなし、全書おみざれば、そのこともはかりがたく、歎惜するにたへたり、梨木三位祐之の大八洲の記に、当国のことおすこしくしるせども、浅井郡のみ風土記お引用し、他郡に及ばず、世間流布の近江風土記と雲書あれども、一事のとるべきなし、