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近江国輿地志略
八十八伊香郡
夫以、伊香の名、諸書に載するところ、土俗伝説おなじからず、土俗相伝、天智天皇の御宇、余湖に天人下りて游泳舞楽す、其歌妓の美児多して、其数五百なり、かるがゆへに五百の児と書して、いかごと読といへり、然ども五百の字にいかの訓なし、若しこの説実ならば、五十の児と書して、いかごと訓ずるもしるべからず、五十の字にいかの訓あることはめづらしからず、正史実録及源氏物語等にも、多出たるも、畢竟夢中に夢お説にて、仮令五百五十の字にいかの訓ありとも、天人游泳歌妓の児ゆへに郡の名とすること、あとかたもなき偽なれば、論ずべからず、一説に曰、往古この地に霊木ありて、其花ひらくるときは、異香四方に薫ず、かるがゆへに異香郡といふ、後に伊香の字にあらたむといふ、是もまたあやまりなり、当郡は伊香津臣命所領の地なれば、郡の名とす、郡中に伊香具神社あり、因て郡名とす、延喜式の神名帳にも、伊香具の社のことお載られたり、傍天人游泳霊木異香のことによらざること顕然たり、伊香具と書してもいかごと訓ず、江家次第には伊賀の字につくれり、是又字にかヽはらざることお見るべし、当郡東は美濃の国界中尾嶺土蔵岳、金裾岳に交り、北は越前の国界三瀬山、中河内山に連る、西南は浅井郡の界に接れり、およそこの郡の地勢、南北は長して東西はみじかきなり、