[p.1183][p.1184]
今昔物語
十六
石山観音為利人付和歌末語第十八 今昔近江の国に伊香の郡の司なる男有けり、其の妻若くして形ち美麗也、心ばせ思量り有て、世に並び無き物の上手也けり、〈◯中略〉而にのと雲ふ人、国の司として国お政つに、此女の有様お聞て、前々の守よりも強に此女お得むと思ふに、夫に妻奉れと可乞きにも非ず、文お遣て仮借せむにも、前々の事お聞くに不可協ず、何にせましと思ひ廻して謀る様、御館に急事有りと雲て、此郡の司お召す、郡の司何に事にか有らむと周(あは)て急ぎ参たり、〈◯中略〉守硯お取寄て、文お書く、書畢て封じて上に印お差せて、其れお文箱に入て、其文箱の上にも亦印お差せて、此れ彼の尊に給へ、此れお開て可見きに非ず、此の内には和歌の本なん有る、其の末お同心に付合せて奉れ、然れば此れお得て家に持行て、今日より後七日と雲に可返持参き也、和歌の本末お付合せて持参たらば、尊は勝ぬ、速に国お分て可知し、若し尊付誤たらば、尊の妻お我れに得さす許也とて取せたれば、〈◯中略〉此の歌の末お書て、前の文箱に具して、七日と雲ふ夕方御館に参たれば、守来たりと聞て、先づ奇異に日お不違ず来たるかな、然りとも歌の末は否付じと思て、此方に参れと召せば、箱と歌の末とお奉れり、守歌の末お見て、此れ希有の事也と思て、箱お開て見るに、違ふ事無ければ、返々す感じ恐れて、多の物お与へけり、亦我れ既に負ぬとて、約の如く国お分て令知めけり、此の箱の内の歌の本は、あふみなるいかご(○○○)のうみのいかなればとぞ有けるに、此くみるめもなきに人のこひしきと付ければ、実に目出たし、観音の付給はむには、当に愚ならむや、