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近江国輿地志略
三十一志賀郡
和邇荘(○○○) 北浜村、中浜村、南浜村、高城村、今宿村、中村、小野村、以上七け村お和邇荘と雲、はじめは和邇村とよべりと見えて、類聚国史、及類聚三代格等に、みな和邇村に作、いま按ずるに、往古は中村お和邇村と称して、それにのみ民居ありしと見えたり、其余の五け村は、その後出来たる村なり、しかれども和邇荘と呼来こと、近き事にもあらず、建武のころより称する事と見えて、三井寺の実録、寺門伝記補録に曰、後醍醐院建武三年九月二十四日御寄附状、 園城寺領 近江国和邇荘 崇福寺 これお以見るときは、和邇荘古来崇福寺領なりしお、相続して園城寺に御寄附のことヽ見えたり、