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新撰美濃志
一美濃全体説
国号は、むかしより青野、各務野、加茂野とて三所の広野〈あるひは青野、大野、各務野の三所とす〉あるゆへ、三野と名づけし物にて、古事記、万葉集、日本霊異記、旧事紀の国造本紀等にみな三野国とかけり、其のち文字おさま〴〵に書かへて新撰姓氏録には美努とかき、政事要略、公卿補任師実記、小野宮年中行事、諸門跡譜、八雲御抄、藤原公定の分脈系譜、また日本霊異記の伊奈婆大神の事おいへる条、扶桑略記の文徳天皇三年のくだり、日本紀略の天暦元年七月二十一日の記、神宮雑例集の七け国の封戸の条等には、美乃の二字おしるし、類聚雑要抄には三乃ともかけり、その外六国史おはじめ、正史古記録等には、今の如く美濃の文字お用ひたり、又ある説に、御野(みの)とは、大和の宇陀野(うだの)、河内の交野(かたの)なんどのごとく、禁制野〈俗にいふ御留場〉の通称にて、当国にむかしよりさる猟野のありしゆへ起れる国号也といへるも、拠なきにはあらず、奈良の東大寺に所蔵の古文書に、大宝三年御野国戸籍と見え、三代実録に、元慶六年十二月二十一日己未勅雲雲、美濃国不破安八両郡野、本自禁制、永為蔵人所猟野雲々としるし、同七年十二月二十二日甲寅、令山城大和雲々、美濃等国聴百姓樵於禁野内雲々と見えたり、是当国にふるく御野のありし証なり、