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諸国旅雀

京より江戸迄木曾海道 かし原よりいますへ一り、三十三文、 禰物語、江州濃州の堺也、又たけくらべともいふ、 いますよりせきが原へ一里、卅三文、 山中九条雑司、ときはの塔有、 峠 ふわ、せきやのあと下れば右、是せきと雲、小ぜきと雲は北也、大関に淵子川と雲有、 せきが原より樽井へ一里半、四十九文 松の尾は西の山也、是より尾州宮迄十五り有、野上此上の山より江州尾州三国みゆる、けいちう山寺有、今はなし、はんぢよがざいしよ也、 たる井よりあか坂へ一り半、四十二文、 町端に川有、合川、ぼだい川、大滝川落合てたるい川と雲こヽにおいわけ有、木曾へは左へ行、尾州へは右へ行也、ぼだいへ半道、たるいより北の谷也、たるいの西南の山お南宮山と雲、滝山の前也、おさ十六と雲所、たるいより一里、いぶき山もちかし、又あおのがはら、又青野と雲村有、青墓といふ、昔長者大炊が屋敷は、道より北也、又ひるい大はかと雲村、此間に有、 あか坂よりめいぢへ二里八町、七十二文、 こくう蔵山のふもと也 ひらやこくう蔵山のお西の方也、孫六といふ鍛冶いたる所也、 町端にくせい川有、あお木、みつや、きたかた中川の内そね道より北也、 大柿道より南 川尻道より南、ろく川有舟渡り、此川くいぜ川と雲、本名はくぜい川也、此河の下おさわたりと雲、 めいぢよりがうどへ一里六町、三十九文、 がうどよりかなふへ二里、此間にぎふへ行道左に有、五十五文、 川有舟わたし也、ながら川の下也、がうどの下おすのまたの渡と雲、ぎふの古城有、 かなふよりうぬまへ四里、百卅五文、 信長公取立の古城也、山おいなば山といふ、古今にもいなば山とよめるが此山也、町端にながら川有、瑞竜寺なはて、各務野と雲有、右の方に尾州小牧山みゆる、はゞ是よりうぬまへ二り、人家なし、 うぬまより太田へ二里、七十五文、 世俗にうるまといふ、あやまり也、鵜沼也、犬山の城有、うぬま川のむかい也、半道程有、水野より鵜沼へ四りあり、かち山是より蜂屋へ一り半也、通道にさるばみとて太田川の岸かけのうへにくはんおん立給ふ、 太田より伏見へ二里、七十五文、 大河有、舟わたし太田のわたりと雲、信州木曾川の末なり、水出ればながれはやく、なみたかく、むつかしきわたしなり、此末おうぬま、かさ松、萩原等の渡と雲、とた太田のわたりの向也、是より太田の渡せずに大柿へ廻り、舟にて本道へ出る道あり 伏見よりみたけへ一里、三十三文、 是よりかち田といふ所へ二り、援に古城有、斎藤山城守濃州の守護たりし時、息男新五此城に居る也、よなだへ一り、日比は肥田玄番居城也、又金山へ半里、信長公の御時、森三左衛門、同むさしの守居城也、右皆加茂郡の内也、 みたけよりほそくでへ三里、百廿二文、 此所かんの大寺共いふ寺有、又入口左の山に九影寺とて、済下の寺あり、くゝりと雲所此近辺也、元和の比、千村市右衛門是に住す、恵奈郡うど、つばし、平岩、 ほそくでよりおほくでへ二里、五十七文、 おほくでより大井へ三里、尾張へ出る道有、百五十六文、 大井より中津迄二里半、七十八文、 みたけより八里、なすび川、せんだばし、八まんのみや有、 中津川よりおち合へ一里、四十四文、 此間下れば左のむかふ苗木といふ城有、中つより一り、 おち合よりまごめへ一里、四十四文、 むかし木曾殿のさむらい落合五郎かねゆき居城也、此所ひなわの名所なり、あてひなわと雲、水中にてもきへずと雲、十石橋坂有、是より信州安曇郡木曾の内也、