[p.1244]
古事記伝
二十二
三野国之本巣国造、此は二氏にて、上は三野国造なるお、造字お之に誤れるなるべし、日代宮段に、三野国造之祖、神大根王と見え、書紀其巻にも、美濃国造名神骨とあればなり、〈若三野の本巣ならば、白梼原宮段末に、道奥石城国造、常道仲国造などある例お思ふに、三野之とありて、国字はあるまじきことなるに、三野国とあるも、本巣とは別なるがごと思はる、〉国造本紀にも、美濃前国造、春日率川朝皇子彦坐王子、八瓜命定賜国造とあり、〈此次に三野後国造と雲もあり、抑如此前と雲後と雲るは、越前越後などの例の前後にや、若然らば美濃の内にて、本巣郡は京師の方に依れゝば、道口とも雲つべければ、三野前国とは本巣郡のあたり造雲るものとして、此も其国造として、三野之本巣国造と雲る証ともすべきが如くなれども、美濃国お前後と二に分むには、其前の方にも本巣おおきてなほ数郡の地あれば、本巣国造の外に、三野前国造あらむも妨なければ、其お三野国造と雲むも又妨なし、又本巣郡の内に美濃郷もあれば、上古に三野国造と雲しは、其あたりの国造、本巣国造と雲しは、又本巣と雲地もありけむ、其処の国造なりとせむも、何事かあらむ、又かの前後とあるは、時代の前後お分て雲るかとも思へども、若然らば一つに挙べきに、別に挙たるは然には非じ、八瓜命は、神大根王の亦名にて、上に出たり、天武紀に美濃連と雲あれども、異姓なるべし、〉本巣は、和名抄に、美濃国本巣〈毛止須〉郡これなり、