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新撰美濃志
一美濃二十一郡
多芸郡は、不破郡の南にあり、東は旧杭瀬川揖斐川お隔てゝ安八郡に境ひ、南は石津郡、西も笙ヶ岳お隔てゝ石津郡に至り、北は不破郡に隣れり、東西より南北は少し長く、牧田街道ありて商人なんど往来し、旅宿も不自由ならず、古事記に、倭建命取伊服岐能之神行幸雲雲、還時到当芸野上之時、詔雲雲、今吾足不得歩、成当芸斯(たぎし)の形、故号其地謂当芸也とあるが、郡名の起れるはじめにて、和名類聚抄に多芸〈多岐〉と見え、続日本紀に、多芸、多伎、当耆、当伎と四通にかき、続日本後紀に多紀、平治物語に多記なんどさま〴〵にしるし、其外は国史諸実録等みな和名抄の文字お用ひ、今にそれにならへり、〈〇中略〉高参万弐千参百六拾九石五斗三升九合、六拾九け村、〈古高帳には弐万七千九百九十七石余五十四け村とし、新高帳には七十八け村とす、〉