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古事記伝
二十八
当芸斯は、和名抄舟具に、唐韻雲舵、〈字亦作舵〉正船木也、楊氏漢語抄雲、舵船尾也、或作舵、和語雲多伊之、今按、舟人呼挟秒為舵師是とあり、延佳此お引て、疑此物也と雲る、信に然り、〈〇中略〉さて多芸斯お多伊斯と雲は、中古より音便に頽れたるなり、〈〇中略〉故号其地謂当芸也とは、此地名の由縁なることお雲なり、〈続紀七に、霊亀三年九月、天皇幸美濃国雲々、幸当耆郡覧多度山美泉、十一月詔曰雲々、攺霊亀三年為養老元年とありて、此美泉は世にいはゆる養老の滝にて、右に引る万葉六の歌も、此泉およめるなり、然るに其歌二首ともに、滝とよめれば、多芸郡、又多芸野など雲名は、此養老滝に因れる如聞えて、まぎらはしかるめれど、然には非ず、多芸てふ地名は、此に見えたる如く、倭建命の御言より起れるなり、〉