[p.1261]
新撰美濃志
一美濃二十一郡
武儀郡は、山県郡の東にあり、南より北へ長く、南の方にて東に折れて、曲尺の形ちしたる地なり、東北は郡上郡に宣り、南は加茂郡、南西の隅にて各務郡に隣り、西は山県郡、西北の隅にて本巣郡に接はり、北は越前国大野郡お堺とす、和名類聚抄に武芸〈牟介〉と見え、新撰類聚往来もそれにならひ、文徳実録、延喜式、拾芥抄、節用集等に武義とかき、続日本紀には務儀とかけり、又古事記に牟宜都(むぎつ)君、日本書紀に、君毛津(むけつ)君、新撰姓氏録に牟義公(むぎのきみ)とあるも、此地名お名のれる人也、名古屋大須宝生院の蔵書、法花経第七局奥書には、永正九年卯月十五日、濃州無義郡平賀本寿寺常住筆者日禅としるせり、無義とは珍らしき書ざまなり、〈〇中略〉高は三万二千四百八十五石八斗六升四合、百四十六け村〈古高帳には、三万千九百十八石余、六十四け村とし、新高帳には、百八十六け村とす、〉