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新撰美濃志
一美濃二十一郡
羽栗郡は、厚見郡の南にありて、東より西へ細く長し、東は各務郡にさかひ、南は木曾川お隔て、尾張国の葉栗郡に接し、南西は中島郡に至り、西の隅にては岐阜川お隔てて安八郡にさかひ、北は各務厚見の二郡に隣れり、もと尾張の地なりしお、天正十年、織田内大臣信雄公が尾張の国主たりし時、豊臣秀吉公のはからひにて、沿河の三郡〈葉栗、中島、海西、〉のうち、百二十余村お割取て美濃に属られしより、今に当国の地となれり、故に古書には尾張の郡名とす、尾張にては葉栗とかき、美濃にては羽栗とかくが通例なり、和名類聚抄に、尾張国葉栗〈波久利〉と見えたり、同抄に葉栗五郷おのせたるうち、葉栗の郷は当郡の本郷村なるべく、延喜神名式に、葉栗郡十座のうち阿遅加神社、川島神社と見え、尾張国神名帳の葉栗郡十二座のうちに、従三位阿遅加天神、従三位川島天神、従三位生島天神としるしゝなんどは、当郡の地なるべし、又仙覚法師が万葉集の抄に引ける尾張風土記に、葉栗郡河島社、在河沼郷河島村、奈良宮御宇聖武天皇時、凡海部忍人申、此神化為白鹿、時々出現、有詔奉斎為大社焉とあるもしかなるべし、〈〇中略〉高二万千七十四石八斗九升六合、六十五け村〈古高帳には、一万九千五百五十九石余、五十七け村とし、新高帳には、八十三け村とす、〉