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東大寺要録

去建暦之比、みのゝ国大井庄下司職相論候時、申子細於関東之処、二品家者進地頭職於東大寺之上、不可及口入之由被返答候、おヽいのさうのしもづかさの事、とものりとかやおさヽいなくて心へしとて、東大寺よりとり申て候とて、べたうそう上の御はうの御ふみまいりて、その御返事には、あまのかたにもみてらの御ぐだしぶみ給はりたりとて、しらんと申候に、とものりも、又みてらのくだしぶみお給、〈〇此間有脱文〉あれはいづれもだうりにまかせて、御せいばいにて候べきよしにて候なり、ひきのはむぐわんがとき、地頭おさりて御てらへまいらせたれば、これにては御さた候まじきよしお、あまごぜんよりおほせくだされて候、あなかしく、 建暦元 ひろもと 東大寺領みの国大井庄下司職事、折紙〈副請文案〉御覧之後、返遣候、於寺家任道理可有裁許之由、被申僧正御房御返事、令早可申寺家之状、依仰執達如件、 建暦元五月廿四日 散位在判 大井尼上二