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美濃明細記
十一産物
一美濃紙 武儀郡洞戸郷十六村、板取郷十三村、牧郷大野、向島、乙狩、上野、長瀬、小坂、あらこ、小倉、山県郡之内所々出之、本巣郡根尾、池田郡広瀬、三村、可児郡久々利、賀茂郡加治田辺、土岐郡大富、あらまき、郡上郡赤谷、神路、小駄良、須見、勝原等漉出之、 美濃紙随一お大直紙と称す、長一尺四寸程、幅二尺及也、常の美濃紙より厚し、 典具帖次之、是常之美濃紙のこと也、長五六分、幅七分も大直より狭し、色白塵なき宜紙お障子紙と雲、紐お細く作お細紐紙と雲、他国の紙は折ざる紙もあるゆへ、京にては中折紙とも雲なり、 右二品、宜紙洞戸牧郷より出之、 紋透紙 森下紙〈十文字二漉、合羽に用、〉 扇地紙 小菊鼻紙 右の品々、武儀筋多く出之、 がんひ紙、鳥子に似たる紙也、虫くはざるゆえに大切の書に用る也、がんひと雲紙木お以漉也、美濃半切 杉原紙 尺長紙 小杉鼻紙 半紙 右の品々、武儀諸方より出之、 厚紙 北山の内、池田郡三倉村、津汲村、大野郡乙原、 薄口紙 横山村、杉原村、 右の品々、本巣郡根尾郷より所々出之、 奉書 杉原 美濃紙 厚紙 鼻紙 右の品々、池田郡広瀬三郷、羽根村、西村、北村、 并 坂本村出之、 美濃紙 半紙 右の品々、可児郡久々利村出之、 美濃紙 半紙 鼻紙類 右の品々、土岐郡、大宮村、土岐口村枝郷、あらまき、加茂郡加治田村出之、 典具帖 中折 河合紙 広紙 小菊 和紙 厚紙 右の品々、土岐郡肥田村、恵那郡串原村、富田村久次見村漉出之、其外同郡之内少々宛出之、 美濃紙類 広紙 厚紙〈郡上郡勝原村〉 小菊類〈郡上郡小駄良村〉 右品々、赤谷村、神路村、須見村等漉出之、 一真桑瓜(本巣郡真桑村産也ゝ昔称真瓜村ゝ) むぎはだ青く、甜味濃かにして、口中にたまらず、江戸献上あり、 一蜂屋柿釣枝柿(賀茂郡蜂屋村産) ほさヾる時に回り七八寸、〈かうざしと雲〉重百銭目計、其味格別にして風味軽し、江戸献上、始に生熟柿、後為釣柿再献上、 一美濃柿〈御所柿とも、大和柿とも雲、〉 和州之産為本、濃州次之、為献上、 一長良川小瀬川鮎(方県郡長良村ゝ武儀郡小瀬村、) 長良川者、墨俣河渡川上也、長良則岐阜の北也、長良川鮎、江戸献上あり、長良より二里川上お小瀬川と雲、此処鮎尚大きにして、頭小背大に丸く、故小瀬丸と称す、大概よき鮎七八寸、重百銭目、至極大きなる希ものは長一尺一寸、重百八九十目、 池田郡糟川、又本巣郡根尾川、伊津貫川鮎も、亦大きにして宜、 鮎之鰭、於岐阜漬之、江戸献上あり、鮎の〓、有製法、而其味格別、江戸献上あり、 方県郡鵜飼村者岐阜北也、元来鵜舟十二艘あり、今七艘となる、長良川鮎お鵜舟お以漁す、鵜十二羽お一人にてつかう也、川へ入ざる鵜お船ばたおたヽき追入、又魚お呑たる鵜には魚お吐せ、篝火おたき、立方せはしき業なり、和名抄方県郡鵜飼地名あり、村上帝円融帝比より鵜飼ありと見へたり、武儀郡小瀬村、亦鵜飼舟あり、 一墨俣川鯉(安八郡) 色赤てる事格別也、又煮而油多く浮ぶ、 一鵜沼川鱒(葉栗郡円城寺村笠松村辺漁之) 又佐渡川下流、安八郡平村、牧村辺漁之、 一管瀬川鯰(大野郡長瀬村辺) 小き谷川、古歌あり、 鮠(はへ)鮏からず、口明ずと雲えり、 一宮代葱白(子ぶか)不破郡 白み多く、子ばらず、細き也、一説皆白と雲とも雲えり、 一根芹(多芸郡) 享保の比ゝ養老の流芹お上ければ、 根芹つむこれや千年のたねならん老おやしのふ滝のながれに 〈林丘寺宮〉 一大榑牛房(安八郡大榑村者高須の北)〈牛房のよ少く柔なり〉 一岩茸(本巣郡根尾大須松田越波辺の山明神山などに出) 一美濃撰糸 岐阜絹とも雲 薄きすヾし絹也 一曾代糸(武儀郡曾代村) 曾代絹 当国にては、曾代村より糸引始、故武儀郡郡上郡辺より出る能き糸お曾代糸と雲、此糸お以て岐阜にて織絹お曾代絹と雲、曾代糸お以、京都にて羽二重等も織る糸となる也、庭訓四月文章美濃上品の説多し、前後の品お考るに衣服類也、此類の事にや、 一綿 土岐、可児寡し、郡上、武儀産多吉、 一鏡島干大根(厚見郡鏡島村) 一深瀬畳表(山県郡東深瀬村西深瀬村) 一藍(葉栗郡池田郡より出) 一つほたはこ(武儀郡) 強して不宜 一北山鷂(はいたか) 本巣郡根尾、大須越波山生之、恵那郡苗木、北巣鷹山数け所有、 一煎茶 山県郡伊自良辺、石津郡時多良辺の産、於越前越後交易、時の下村、梅の下風猶可也、又可児郡虎渓、大野郡横山、郡上郡茎長等の産可也、 一磁器(やきもの) 出於土岐郡久尻、駄和、多治見、下洞、妻木、下石、笠原等、此邑中久尻、〈或郡尻〉焼物の釜久しく作之、久尻釜元祖加藤筑後と称す、延喜式貢物出於此地歟、古瀬戸藤四郎焼、出於尾州春日井郡瀬戸、妻木久尻焼等も都而瀬戸と雲、 一土器(本巣郡曾井村) 一土岐鷹絵 土俗伝曰、土岐頼忠自画雲々、 万宝全書曰、富景号洞文、鷹絵のみ長じたり、美濃国土岐刑部少輔頼忠、法号禅蔵寺正庵、鷹一流相伝也、頼忠之絵師か、土岐家之内富景之名未考、 一関打物 武儀郡関村鍛冶多し、故に都而美濃打物お関と雲、〈(中略)今も其子孫関、岐阜より小刀剃刀等多く出之、〉関打物都而位はのぼらざれども、地金刃金とも強、指料によき也、 日本鹿子曰、美濃刃土お吉と雲々、古老伝曰、不破郡荒尾、西昼飯村、辺子ば土お、他国之鍛冶も取に来ることありと雲伝ふ、