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飛州軍覧記
武田勢飛州攻人之事 天下猶亦乱れて、信長尾陽に起り、謙信越後に働き、信玄は甲斐に覇たり飛州其間にはさまれて、所々在々に鉾お諍ひ合戦止む事お得ず、其頃益田郡桜洞の城主、江州佐々木のすへたると雲、其子孫に、三木大和守直頼、其子右兵衛督良頼入道雲山、其子右京大夫自綱入道休庵、代々当国お領す、然るに広瀬高堂の城主山城守宗城と不和にして、相互に彼お亡ぼし其跡お奪ひ、国お始めんとはかる、山城守宗城、甲州へ使者お以て信玄に通じ、三木お初め飛騨の諸将お亡ぼさんと約す、故に永禄七年七月十八日、信玄より山県お飛州小八賀郷千光寺へさしむく、〈〇下略〉