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飛州志
一土地
村里之総数 并 枝村小名 今所存壱国の村数四百十四村也、其古数は分明ならず、元禄年中検地の時、改正せられて載る所是也、 枝村と雲ふは、村里毎にあるには、非ず、一村の地続き、或は山澗野地お隔たるの地に、別名お称して本村に附属するもの也、今世何村新田と雲一例なり、故に本村に等く民家建来れるあり、又人家廃して、今は地名のみなるも間あることなり、 小名と雲ふは、多く民の宅地に附たる号也、元来の地名、或は田畠の字と雲ふにも非ず、たとはヾ往古鍛冶の住せし地は、今の民其筋目に非ず、其職に与から子ども、鍛冶の何某と呼べり、異名の類と謂ふべきなり、