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閑窻瑣談
下編乾
飛騨国大牧村の籠渡し 彼阿部友の進の採薬記に記されしお見れば、其地の人物さへ眼前に見るごとく、最も便なき所ぞかし、飛騨国田畑村といふ所の外は少き深山なり、雪深く六七月迄も村々に雪あり、極暑の節も朝夕は綿入お著す、甚しき寒国なり、稲お植て実の悪しき故、田に稗お作る、常々農民の食物は、蕨の根お堀て食とす、又栗の木抔のやどり木お採て、其汁お煎じ食す、 友之進 此山中に旅宿し、夜中蝋お灯し髪月代お召仕の者に致させけるが、其所の男女是お見て、甚奇怪の事と思へる有様にて、あれは大根に火お灯し、頭お面にするかといふて甚しく笑ふ、 撰者曰、此頃猶此辺にて世に蝋燭の有事お知らず、月代おする事も知らざりけん、又蝋燭おも看たる事のなかりけん、大根へ火おともしたるかとは雲しなるべし、今〈〇天保〉よりは百年以前とは雲ながら、其開けざる事思ひやるべし、