[p.1340][p.1341]
笈雉随筆

飛弾里 夫飛弾国は、美濃、越前、加賀、越中、越後、信濃の六国の間にはさまりて、深山幽避極て片土下品の国也、諸の山々幾重となく重り、鬱々として日光の届ざる所有、谷深く坂路さかしく、斯る嶮難の地も、住馴し国人は平地の如く、労せずして歩行せり、よりて弾お飛すといふ心にて国名とすといふ、辟説ならんかし、又当国に毛坊主とて、俗人で有ながら、村に死亡の者あれば、導師と成て弔ふなり、是お毛坊主と称す、訳知らぬ者は、常の百姓よりは一階劣りて、縁組などせずといへるは僻事也、此者共、何れの村にても筋目ある長百姓にして、田畑の高お持、俗人とはいへど、出家の役お勤る身なれば、予じめ学問もし、経教おも読、形状物体筆算までも備はらざれば、人も帰伏せず、勤り難し、則同国三河野村左衛門四郎、種蔵村平右衛門、打保村孫総、又尾上村称名寺、平瀬村常徳寺、中野村光輪寺、牛尾村蓮勝寺等也、右の四け寺は、中頃より東本願寺末派として寺号お呼といへ共、住持は皆俗人にして別名あり、初の三人は寺号なければ、何右衛門寺、又何太夫等と称して、同じく亡者の弔ひ、祖方の斎非時お勤む、居宅の様子、門の構、寺院に替る事なし、葬礼斎非時に麻上下お著して導師と成勤、平僧に准じて野良頭にて亡者お取置するは、片鄙ながらいと珍らし、是深山幽谷にして、六七里が間に寺院なく、道儀高徳の出家なければ、往古より如此致来りしと覚ゆ、若兄弟あれば、総領は名主問屋お勤役して、弟は同居しながら寺役おなせり、遠州、三河、美濃、河内抔にも、毛坊主有よし聞り、又同国大野村蜂谷庄出羽平村に洞窟あり、土人伝へいふ、昔し仁徳帝の御宇、二面四手四足なりし宿儺(しゆくな)といふ異形の者住し跡なりといふ、されば此国の谷間に笹多く生ず、其中に葉の有べき所に、魚の形に類せるもの生ず、小き笋の如し、末細く尾の形になり、鰭の様したる所も有、頭と覚しき所竹に付たるさゝ葉巻で鱗の如し、三四月頃次第に太り、忽然と枝お離れ、水中に落れば変じて魚と成、故に土俗笹魚と号す、味ひも美にして毒なし、誠に非情の有情と化する理、更にはかり難し、