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飛州志

凡往古は、飛騨の匠、或は匠丁と雲ものありて、帝都に在番せし故に番匠の名あり、又多く他国に遊びて飛騨匠と呼ばれたり、今も国中に木匠多し、各昔の善匠お語り伝へて口実とすれども、其道統お承得たる匠家もなく、今は伎術賤杣なれば、他州にも遊ばず、是中古国司任絶へ、国人私に立ん事お専らとせし時代に、如斯の古実も乱れぬと聞へたり、故に匠法廃して損益の作用お失ひ、強きものは飽まで強からん事お欲し、削磨くものも用捨利害の了別に闇く、事毎に過不及ありて、国の費おなせり、其中の一つ挙るに、其使ふ処方木ばかりお用ひて、方円二つお交へ作ることお知らざるなり、又其釘保すべきものおも、漆固するの耗あり、是久しきに貽すためにも非ず、国風漸々移り、華美お好むの心出て、終に物に飾り、真に讐する偽りお作り生せり、民みづから是良匠の道廃ると知らず、古法既に亡絶す、今古代の家作の遺在お観るに、削る処削らぬ処の匠法あつて、妙術至巧其跡存て然也、たとはヾ、杣人の斧にて作り出したるまヽにて使あり、又巧の釿にて打たるお用ゆるあり、是より銫の次第猶多品なれば、猶真草ありと見へたり、然近年は其道お励む族なんど在りと見ゆるも、国土旧より善匠老手お産するの徳沢存して然らしむるものか、 〇按ずるに、飛騨匠丁の事は、亦政治部丁役篇及び産業部木工篇に在り、