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信濃国は、しなのヽくにと雲ふ、東山道に在り、東は甲斐、武蔵、上野、西は美濃、飛騨、南は駿河、遠江、三河、北は越中、越後の十箇国に界し、東西凡そ二十三里、南北凡そ四十五里余、其地勢最も高く、至る所に高山峻岳重畳し、河流亦四方に奔馳し、実に我国中原の脊梁と称せらる、此国は古へ国府お筑摩郡に置き、伊那(いな)、諏訪(すは)、筑摩(つくま)、安曇(あづみ)、更級(さらしな)、水内(みのち)、高井(たかい)、埴科(はにしな)、小県(ちいさかた)、佐久(さく)の十郡お管し、延喜の制上国に列す、是より先、元正天皇の養老五年に、諏方郡一帯の地お割きて諏方国お置きたりしが、聖武天皇の天平三年に至りて、復た信濃に併合せり、明治維新の後、筑摩郡お東西に、安曇、佐久の二郡お南北に、伊那、水内、高井の三郡お上下に分ち、新に長野市お設けて一市十六郡と為し長野県おして之お治せしむ、