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古事記伝
十四
科野(しなぬ)国斉明紀にも此字お作(かけ)り、名義は山国にて、級坂(しなざか)ある故の名なりと師〈〇賀茂真淵〉説れき、其説なほ冠辞考〈しなざかる、又しなてるの条、〉に見えたり、〈此国には、なほ倉科、穂科、御科、仁科、蓼科など、志那てふ地名いと多かり、又一説には、志那と雲木あり、古いはゆる栲これなり、其皮しな〴〵しき故に、志那とは名くるなるべし、又其皮色白ければ、志那は志良なりとも雲り、さて此木の皮おはぎて木綿に作り、衣衾などにもし、紙にもせし〉〈お、此信濃国に生るは、殊に色白くて名産なり、神楽歌にも、木綿造る科の原と見え、又諏訪神社の御装束、鎧のおどし、馬の飾、船の綱などにも用ふ、然れば科野てふ国名も、此木より出たるなり、今も級布、紙布、藤布、多布布などお出し、更科郡などは殊に楮お多く出して名産なり、右の多布布と雲も、楮皮にて織れる布なれば、多布は多久の訛なるべしと雲り、今思ふに、此説もかた〴〵由ありて捨がたし、楮(たく)お志那と雲ることは、古書に見えざれども、こは此国の方言にても有りぬべし、又神楽歌に、木綿造るしなの原とあるも、国名とは聞えざれば、木綿お造る此志那の木の生たる原なるべし、よし又地名にまれ、なほ本は此木によりての名なるべし、〉