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日本地誌提要
二十六信濃
沿革 古へ国府お筑摩郡に置、〈今の松本是なり〉治承中、源義仲木曾より起り京師に入り、平氏お西海に逐ひ、征夷将軍に任ず、鎌府の時、小笠原長清守護に補し、子孫世襲す、玄孫長氏に至て、州守お兼ぬ、元弘の末、其孫貞宗兵お起して勤王、後叛て足利尊氏に降り、守護たる故の如く、深志城に居、〈今の松本城〉永享中、小笠原氏漸く衰へ、村上、〈埴科郡葛尾城〉諏訪〈諏訪郡高島〉木曾〈筑摩郡福島、即義仲の裔、〉諸氏各一隅に拠る、天文の末、武田晴信侵擾する連年、小笠原及村上諏訪二氏お滅し、木曾義昌お降し、終に全州お取る、時に上杉輝虎屡兵お川中島に出して地お争ひ、遂に飯山に城て其近境お取る、天正十年、織田信長、武田氏お滅し、海津(かいづ)お〈後松代と攺む〉森長一に、飯田お毛利秀頼に賜ふ、既にして信長殺せられ、武田の故将真田昌幸上田に拠り、独り上杉氏に属す、長一等西上し、州内擾乱す、徳川氏北条氏と地お争ひ終に本州お取る、旧族小笠原貞慶、〈松本〉保科正直、〈高遠〉皆故地お復し、義昌昌幸等と共に徳川氏の節度お受、昌幸尋て豊臣秀吉に属す、十八年、徳川氏関東に遷る、〈保科木曾二氏皆之に従ふ〉秀吉貞慶の地お収めて、森忠政〈長一の弟〉お松代に、石川数正お松本に封じ、飯田高遠お京極高知に、小諸お仙石秀久に賜ふ、徳川氏の初、松本、〈初小笠原秀政、後松平光慈(ちか)、〉松代、〈初松平忠輝、後真田信之、〉上田、〈初真田信之、後松平忠周、〉高島、〈諏訪頼水〉高遠、〈初保科正直、後内藤清枚(かず)、〉飯田、〈初脇坂安元、後堀親昌、〉須坂、〈堀直重〉飯山、〈初皆川広照、後本多助芳、〉小諸、〈牧野康重〉九藩とす、後に内藤正勝お岩村田に封じ、三河奥殿藩〈松平乗謨〉徙て田野口に治し、凡て十一藩、王政革新、伊那中野二県お置き、田野口お竜岡と改称す、既にして皆改て県とし、又廃して筑摩長野二県お更置す、