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古事記伝
十四
洲羽(すは)の海、洲字旧印本、延佳本共に州と作るはわろし、今は一本に従ひつ、洲羽は、和名抄に、信濃国諏方〈須波〉郡〈方字訪ともかけり〉是なり、続紀に、養老五年六月辛丑、割信濃国始置諏方国、天平三年三月乙卯、廃諏方国并信濃国とあり、かゝれば、古は一国にもすばかり広き名なりけむ、名義未考へ得ざれども、嘗にいはゞ、須夫麻理の意にもやあらむ〈夫麻お切(つヾむ)れば婆なるお、清音に転じ、理お省けるなり、すぶまりはすぼまりにて、上の鼠段にも、すぼきことお須夫須夫と雲り、〉其由は此次の詞に見ゆ、海は湖なり、凡て古は湖おも〈某湖とはいはで〉たゞ某海と雲る例なり、さて此に洲羽とのみは雲ずして、海としも雲るは、道のある限は逃賜ひつるが、此湖の岸に至りて、終に道絶て逃べきすべなく窮(せま)れる由にて、迫到(せめいたり)と雲る、即其意なり、〈凡て世牟留は狭むるなり、世麻留は狭まるにて、自と他とお雲差のみなり、〉かゝればかの須夫麻理も、此神の追迫(せめ)られて、此処に窮(すぼ)まり賜へる田の名にもやと思ふなり、