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信府統記

信濃国郡号 水内(みのち) 高井(たか井) 埴科(はじな) 小県(ちさがた) 佐久(さく) 伊奈(いな) 諏訪(すは) 筑摩(つかま) 安曇(あづみ) 更科(さらしな) 右合て十郡なり、古へ誤て木曾仁科お別郡として、都て十二郡と雲伝へし所もあり、併し是は古へ郡境分明ならざる時の説と見えたり、既に木曾は、正保年中国絵図お記し出されし時迄は、郡の外として十郡の内に入らず、故に或は美濃の内と雲ひ、亦は安曇郡とも伊奈郡とも、其説一決せず、其後元禄年中、国絵図改められし時、筑摩郡に定まれり、仁科は固より安曇の郡なりと雖ども、古へ此辺の領主久敷援に居住ありし故、仁科の名お唱来れり、木曾も亦然なり、〈〇中略〉古今変遷多き故、元禄年中、改め定められしお以て是に記す、日本国中凡六百二十郡なりとかや、