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信府統記

埴科郡〈高二万七百八十石二斗壱升四合、村数四十一、〉 当郡は国中の小郡にて他国に接する所なし、未申の方より西北へ押廻しては、更級郡の境千曲川の中央なり、但し此川数曲あるが故に千曲川称ふるとかや、所により川の此方へ郡筋入込あり〈更級郡の内、向八幡村は、川の此方にあり、〉亦北にては川向へ当郡出張れり、〈更級郡塩崎村の辺、又東福寺村西寺尾村の辺両所あり、川筋時として替れる〉〈故なりとかや、〉昔時武田信玄と越国の謙信合戦ありし所、其時の地形今の川筋とは違ひたりと雲ふ、丑寅の方は高井郡へ界ひ、辰巳の方は小県郡へ界ひ、各山中郡堺なり、