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信府統記

信州松本城記録〈〇中略〉 松本の地は、往古国々に定れる主なき頃は、時として国司お任ぜられて、下向の節居住ありし所なるが故に、当国中の地頭各援に出仕ありけると雲ひ伝へたり、其頃は今の三の曲輪地蔵清水、の辺は市陌にして、繁栄なりし所なり、其後国司の下向絶て、町数減少すと雖も、猶市辻〈今の地蔵清水〉泥町〈今の柳町〉麻葉町〈今の安原口〉西口〈今の伊勢町〉など残りて、市日には衆人群集せしとなり、〈〇註略〉松本は当国中に於て平坦の地なり、筑摩村に神社あり、郡名の本とする所とかや、当城は府中にて殊に四神相応の地なり、其繁昌お慕ひて、永正元年甲子、小島なる深志の城お茲に移せり、其頃は猶元の名に順ひ深志 城と雲ふ、