[p.1379]
信府統記

松代城開起并城主交代年数 松代(○○)は埴科郡川中島なり、〈初め海津の城と雲ひ、中頃待城、又は松代と唱へ、近来に至て松代と称す川中島と雲ふは、筑摩川犀川二大川の中間なればなり、此地更科、埴科、高井、水内の四郡へ宣れり、〉平城にて城下の西に筑摩川流る、〈此河今は千曲川と称す、此辺にて川流数曲あるが故なり、当国名所の一とす、〉昔は清野氏が屋鋪地なり〈〇中略〉慶長八年癸卯、森右近大夫〈後美作守と攺む〉美作国津山へ所替となりて、其の跡暫く御代官所と為る、此時より待城と改め称す、同九年甲辰、松平上総助忠輝公入部松城と改めらる、其後越後国お加へ賜りて高田の城へ移り給ひ、当城には家臣花井主水城代なり、元和元年乙卯、大坂落去の後、忠輝公御改易、花井主水死刑となり、〈〇中略〉同八年十月廿日、真田伊豆守信之、同州上田より封地お増賜り、都合十万石にて当城に移り、〈〇中略〉万治元年六月十九日、同伊豆守信房二歳にて家督し、享保七年に至る迄〈六十五年〉城主たり、此時城の字お改めて松代と為す、〈但し正徳元年辛卯、公義よりの仰なり、〉