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日本鹿子

同国〈〇信濃〉中名所之部 木曾路 京より江戸まで木曾街道お行は、美濃国大井といふ宿より四り計行て、信州安裹(あつみ)郡木曾のうちなり、是より木曾路と雲、 出る峯入山のはのちかければ木曾路は月の影ぞみじかき 木曾御坂 まごめ峠といふ是より深山に入、山坂多し、 信濃路や木曾の御坂の小笹原分行袖にかくや露けき 掛橋 是お木曾のかけ橋と雲、あげ松と雲宿より福島と雲宿へ越る間也、則かけ橋と雲里あり、山の阻にわたしたる橋なり、 生ひすかふ谷の梢お蛛手にて散ぬ花ふむ木曾のかけ橋 園原山 小県郡の内也、伏屋は小諸の山の手也、此原にはヽき木と雲もの生ふる、後拾遺雑歌、 信濃なるその原にこそあらね共我はヽき木と今はたのまん 更科 いづこ共月は分しおいかなればさやけるらん更科の山 姨捨山 更科郡の内也、やしろの宿よりとくらへ越る間、筑間川と雲あり、此川の向ふにあり、姨捨石と雲も有、 あやしくもなぐさめがたき心かな姨捨山の月も見なくに 有明山 更科の里よりまへにかヽへたる山なり、後鳥羽院の御製に、 片敷の衣手さむく時雨つヽ有明の山にかヽるむら雲 浅間山 上野国へ下るに、武蔵野より北に見えたり、伊勢物語のうたに、業平朝臣、 信濃成浅間のたけにたつけふり遠近人の見やはとがむる 諏訪の海 水海也、中に湯あり、冬になれば此海水はりつめ、そのうへお道にして行かよふ、俗に此氷のうへに鹿の足あとあれば、是神の通給ふ跡なりとて、是おしるしに渡ると也、 諏訪の海の氷の橋の通路は神の渡りてとくるなりけり 桐原 望月 両所共に牧在所也、望月はあしたの宿よりやはたの宿の外にある宿也、西行法師のうたに、 望月のみまきの駒はさむからし布引山お北とおもへば 須賀荒野 戸隠山 高月山 幾け嶺 筑間川 田毎月