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諸国名義考

上野 下野 和名抄に、上野〈加三豆介乃、国府在群馬郡、国分為東西二郡、府中間国府、〉下野〈之毛豆介乃、国府在都賀都、〉名義は毛野(けぬ)なり、国造本紀に、難波高津朝御世、元毛野国、分為上下とあり、されば上毛野下毛野なりしお二字と定られし時に、毛の字は略かれつれど、猶毛といへる名のこりて、却て野の字おば唱へず、さて毛とは、草木五穀などおいへるなるべし、そのはじめは木おいへる名なり、下の紀伊国の条にいへる、須佐之男命の木種蒔おも思ひ合すべし、また筑後国に大なる歴木(くぬき)株あり、高さ九百七十丈ありて、朝日の影には肥前の杵島多良岑お覆ひ、夕日影には、肥後の阿蘇荒爪山お蔽ひたり、〈日本書紀と風土記とはすこし異なり〉よりて御毛国といふ、この木僵れて後、其樹お蹈て往来ゆえに、弥概能佐烏麼志(みけのさおばし)と歌にもよみしなり、また日本書紀に、是居於御木川上といふ、分註に、木此雲開(けと)とあり、万葉集にも、木お毛とよめる事しば〳〵あり、さて令義解に、謂土地之所生為毛也とあり、外国にも、左氏伝に食土之毛、註毛草也とあり、字典に、桑麻五穀之属、皆曰毛とあり、素問に、地有草木、人有毛髪応之とあり、その外にも窮髪不毛などいへること、漢籍に間々見えたり、