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下野国誌

毛野名義〈◯中略〉 守弘按ふに、木(き)お気(け)と雲ることもあれば、毛は草木おさし、野は顕昭が古今註にも、坂東は足柄の関より東いと山なども侍らず、皆遥なる野なりと雲る如く、都て平らかなる国なれば、毛野(けぬ)国とも名つけしならむと思へるも、然ることながら、内蔵寮式に、氈十枚(かもとひら)、下野国所進とありて、当国と古へ好毛席(よきけむしろ)お織て奉げし国なり、是に依て毛おむねとし、好毛の出る野といふ義にて、毛野国とは名づけしものなるべし、〈氈は、和名抄に加母、毛席撚毛為席也とありて、上代には専ら獣の皮お席とし、又毛おも糸もて織て席となして用ひたり、〉其例は、古語拾遺に、好麻所生、故謂之総国、穀木所生、故謂之結城郡、古語麻謂之総也とあり、〈出羽も好羽の出し故の名また木の国も是に等し、〉万葉集に載たる、之母都家野(しもつけぬ)、美可母乃夜麻(みかものやま)とあるも、真氈山の義にて、氈お織出したるに依て負せし名なるべし、