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碩鼠漫筆

甘楽郡名義 倭名抄に、上野国郡名、甘楽〈加牟良〉とあるは、方今(いま)もかんらと呼びなれたれど、本義はかみらと呼べくぞおぼゆる、甘おかみと呼ぶ例は、甘南備(かみなみ)山、甘南備(かみなみ)河など、万葉中に多く見へたり、〈甘南備山は、神並(かみなみ)山の義なり、備おみと呼ぶは呉の転音なり、欽明天皇紀〈卅六右〉に、備前児島(きみさきこじま)郡とも見へて、此備(み)は吉備(きみ)にて、酒実(きみ)の義なり、此他(ほか)万葉集巻〈廿卅七右〉に可奈之備伊麻世(かなしみいませ)、続日本紀巻十七〈十七左〉に、撫恵備(なでめぐみ)賜事、皇太神宮儀式帳に、大御寿乎慈備給比(おほみいのちおいつくしみたまひ)、また五穀物乎慈備給部(いつゝのたなつものおいつくしみたまへ)などみと訓べきものおほし、〉かく思ひとらるゝゆえは、葷菜の介弥羅(かみら)より付きそめし名とおぼしければなり、抑葷菜には、薤蒜葱(みらひるき)等の種類多しといへども原(もと)は都て薤(みら)といふが、総名にて有けるなるべし、〈◯註略〉さて上野国甘楽郡に出る冬葱(ふゆき)は、比類なき名産なり、〈武蔵の岩附、下野の栃木等に産るおも名物とすれど、上野のには比べがたし、〉殊に郡中西牧村に産るものお上品とすれば、国人は西牧葱(さいもく子ぎ)と呼べども、此地は下仁田駅の隣村なれば、他国人は下仁田葱と呼べり、かゝれば上古は此冬葱(ふゆき)おも臭薤(かみふ)とは呼けむからに、郡名としもなれるにぞあるべき、