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上野名跡志
二編上群馬郡
群馬は元久留末なりしお、和銅六年の詔に、著好字の時書改たりけん金井沢の神亀三年の碑に、群馬郡とあり、地名字音転用例に、群馬は元久留末、くんおくるに用たりと雲、榛名山なる元享三年の鉄灯籠に、車馬郡とあるお見れば、其頃までもくるまと唱へけんお、今は字音に群馬とのみ唱る也、上野三碑考に、久留末は玄馬也、ろうの反しる、上野は牧野所にて、馬によしある地名多しと雲、名跡考には、郷の名より郡の名にも及しなるべし、今白川の水源善地村に、群馬の名は、そのまゝ残れり、川お車川と雲と雲、東西二郡の堺は定かならず、利根川お為堺といへど、昔は利根川群馬勢多の間お流、応永に変流せしといへば、外に堺ありしなるべし、