[p.0016]
古事記伝
二十七
号其国謂阿豆麻也、其国とは、細に雲ば相模国お指て雲るなり、彼弟橘比売命の亡坐しは相模国の海なればなり、然れども広く雲ときは、此の足柄山より東の方なる諸国なり、〈其国と雲るは、必一国お指るがごと聞ゆめれども、京より言ときは、山東の諸国お統ても其国と雲べし、〉書記に、故因号山東諸国曰吾嬬国と見えたる如く、古も今も泛く東方の国々おぞ、阿豆麻とは雲なる、〈◯中略〉書紀には、歴常陸至于甲斐国とありて、後に自甲斐北転歴武蔵上野、西逮于碓日坂雲々、進入信濃とあるは、路次順はず、〈◯中略〉さて彼御歎ありし地も、足柄と碓日と伝の異なる、此は何れか正しからむ、決めかねつ、上野国に吾妻〈阿加豆末〉郡あるお以見れば、碓日の方や正しからむ、〈凡て郡名などは大方いと古きことにて、必由縁あるべければなり、さて若碓日お正しとするときは、此記に号其国謂阿豆麻とあるも、此吾妻郡によく当るべく、又下文に給東国造とあるも、此郡の地とすべし然れども此国造の事も、郡名の事も、足柄にしては又別に考あり、〉