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碩鼠漫筆

利(かヽ)と雲語 利の字かヾと訓むはかヾやくのかヾにて、事物十分に満足するお雲ふ語なり、かヾやくと雲も、光明にまれ、英名にまれ満足せるお雲へるにて知べし、〈◯中略〉壒囊抄巻一に、文選、粥者兼贏と雲へり、李善注、粥売贏利尺せり、くふさとは買売の利潤也、利の字おばかヾとよむ、かヾと雲へ共利潤の義也、〈按に、粥雲雲は、西京の賦に見へて、贏の古訓かゞとあり、又巍都賦に、利往て則賤しとも見ゆ、〉とある利潤も、亦満足の義なり、〈くぶさ、或はくぼさとも見ゆ、其名義は未考へねど、かヾと雲ふも同意なり、文選は贏とよみ、推古天皇紀には、利の字お訓めり、そは二十年の条に其留臣而用則為国有利何(くほさ)空棄海島耶と見へたり、〉又下野国に足利あり、倭名抄郡名部に、足利〈阿志加々〉と見ゆ、こは手利口利(てきヽくちきヽ)の例にて、文字の如く足利(あしきヽ)かとも思へど、さる語例は物にも見へねば、必しかにはあらざるべし、故強て稽ふるに、もし麻利(あさかヾ)の転訛には非じか、当国はよき麻の出る国なり、〈郡こそたがへ鹿沼麻とて、今の世にも名産あるなり、〉足利に並びて安蘇郡あるも、麻(あさ)郡の義なるやとおもはる、猶後賢考ふべし、〈此足利より、西南の方一里許に、利保(かヾぶ)村といふがあるは、足利保の上略にやあらん、〉又陸奥国耶麻郡小布瀬郷、河沼郡等に、利田(かヾた)村といへるあるは、所謂上田にて、作毛に利潤ある義なるべし、〈此陸奥なるは、会津風土記郡村篇に見へたり、〉猶類聚名義抄、色葉字類抄、字鏡集、平他字類抄等にも、利字おばかヾとよめり、