[p.0071][p.0072]
陸奥国は、むつのくにと雲ひ、旧くは、みちのおくのくにと雲へり、東山道に在りて、土地の尨大なる、他に其比お見ざる所なりしが、明治元年之お磐城、岩代、陸前、陸中、陸奥の五国に分ちたり、磐城国は、いはきのくにと雲ふ、東方一帯海に面し、西は下野、岩代、及び羽前に界し、南は常陸に接し、北は陸前に隣す、東西二十二里余、〈其狭所五里余〉南北三十三里余、地勢は高原地、国の大部お占め、国内殆ど峻嶺お見ず、岩代国は、いはしろのくにと雲ふ、東は磐城西は越後、南は上野、下野、北は羽前に界し、東西凡そ二十里、南北凡そ二十一里、其地勢は、山巒岳連宣し、平地少なく、毫も海岸お有せず、陸前国は、東方一帯海に臨み、西は羽前、南は磐城、北は陸中及び羽後に界し、東西凡そ二十五里、南北凡そ四十里、其地勢は、国の東辺、及び西境に山脈連宣し、其中央は北上平原にして、北上川其間お灌漑す、陸中国は、陸前の北に位し、西は羽後、北は陸奥に界し、東方海に面せり、東西凡そ三十七里余、南北凡そ三十三里余、其地勢は、頗る山岳に富み、平地甚だ乏しく、僅に北上川の貫流する所、細長なる平野お見るのみ、陸奥国は、奥羽の北端に位し、南は陸中及び羽後に界し、東大平洋に面し、西日本海に臨み、北は津軽海峡お隔て、北海道の渡島に対す、東西凡そ三十九里余、南北亦相若けり、其地勢は西南部一帯山地お形成し、中部に至りて津軽平原お開き、岩木川之お灌漑す、 此国は古へ国府お宮城郡に置く、延喜の制大国に列し、白河(しらかは)、磐瀬(いはせ)、会津(あひづ)、耶麻(やま)、安積(あさか)、安達(あだち)、信夫(しのぶ)、刈田(かつた)、柴田(しばた)、名取(なとり)、菊多(きくた)、磐城(いはき)、標葉(しば)、行方(なめかた)、宇多(うた)、伊具(いく)、宣理(わたり)、宮城(みやぎ)、黒川(くろかは)、賀美(かみ)、色麻(しかま)、玉造(たまつくり)、志太(しだ)、栗原(くりはら)、磐井(いはい)、江刺(えざし)、胆沢(いざは)、長岡(ながおか)、新田(にひた)、小田(おだ)、遠田(とほた)、登米(とよめ)、桃生(もむのき)、気仙(けせ)、牡鹿(おしか)の三十五郡お記し、倭名類聚抄には管三十六とありて、以上の外に大沼(おほぬま)の一郡お加へたり、後世は奥州五十四郡の称あれども、其郡名甚だ明確ならず、蓋し此国は、元蝦夷に地にして、漸次北方に向ひて開展したるが故に、建郡の制、頗る他と異なり、後世の郡名に至りては公置と私称と相混じて、今弁別し難きもの多し、明治維新の後、分合お行ひ、磐城国に、西白河、東白川、石川、石城、双葉、相馬、宣理、伊具、刈田、田村の十郡、岩代国に南会津、北会津、大沼、河沼、耶麻、岩瀬、安積、安達、信夫、伊達の十郡、陸前国に、柴田、名取、宮城、黒川、加美、玉造、栗原、遠田、志田、桃生、牡鹿、登米、気仙、本吉の十四郡、陸中国に、西磐井、東磐井、胆沢、江刺、和賀、稗貫、紫波、上閉伊、下閉伊、岩手、九戸、鹿角の十二郡、陸奥国に、上北、下北、三戸、二戸、東津軽、西津軽、中津軽、南津軽、北津軽の九郡お置き、凡て五十五郡とす而して新に福島、若松、仙台、盛岡、青森、弘前の五市お設け、福島県おして、福島、若松の二市、及び岩代全国と、磐城国の西白河、東白川、石川、石城、双葉、相馬、田村の七郡お治せしめ、宮城県おして、仙台市、及び磐城国の宣理、伊具、刈田の三郡と、陸前国の気仙郡お除きたる十三郡お治せしめ、巌手県おして、盛岡市、及び陸前国の気仙郡陸奥国の二戸郡と、陸中国の鹿角郡お除きたる十一郡お治せしめ、秋田県おして、陸中国の鹿角郡お治せしめ、青森県おして、青森、弘前のに市、及び陸奥国の二戸郡お除きたる八郡お治せしむ、